料理をしていると、矢張り盛る器にも
関心がゆくものである。
和食には和食器、洋食には洋食器と
夫々、揃えたくなるものである。
私は北大路魯山人氏がとても好きである。
本に依ると、中々の我儘で業つく張り爺に
記載されているが、本当の処はわからないし
わからないでもよい。
書家的にも素晴らしいセンスを発揮して
いるが、やはり手に取りやすい意味でも
器の北大路魯山人は素晴らしいと思うのである。
元々、九谷や織部が好きではあったのだが
直感で好きな器を選んでゆくと
何だか北大路魯山人寄りの器が揃うのであった。
高価なものでなくとも安価で使い易い器は
生活の中で重宝するものである。
気がつくと其の器ばかり登場するなんてことも
大いにある事である。
割れる時まで扱き使われるのが器にとっても
幸せな事なのかも知れないと私は思う。
一生お蔵入りより。